ナユタ
夏の夕暮れ時。天気予報はこれから雨。足りない物のちょい足しで、私は近くのスーパーで、買い物を済ませた。私は四十歳半ばの主婦。夫とは別居中で、ささやかな一人暮らしをしている。ここは東京の端っこ(なんて言っていいのかどうか)西東京市に、もう長いこと住んでいる。
この辺りには、有名私立の付属小学校がいくつかあって、低学年の小さい子供たちが重そうにランドセルをしょって、電車で通ってくる。
「そうまでして有名私立に---」子供がいない私は、親の気持ちを理解出来ずに、少し冷ややかに見ている。
そんな時、
「こんにちは」と背後から声がして振り向くと 知らない男の子がそこにいた。小学校の二年生から三年生くらいだろうか。小走りに駆けよってきて、確かめるように私の前に来た。そして私を見ると、何か確信を得たような表情をした。
「こんにちは」と私も知り合いのように話しかけてみた。
「知らない大人にちゃんと挨拶が出来るんだね」自分から声をかけるのは,勇気がいっただろうに。
こういうことを教えてくれる周りのおとなはやっぱりきちんとしているに違いない。
「あなたのおうちの人も先生も、きっとすてきな人なのね」私がそう言うと、男の子はちょっと首を傾げて微笑んだ。何てことない話をしながら私と男の子は歩いていた。もう少し話したかったが、私の家はもうすぐだ。
「あ、私のうちはここを曲がってすぐのところよ」男の子はコクンとうなずいた。ポツリポツリと雨が降ってきた。
「あなたは?」と尋ねたけれど男の子は何も言わないで、ふうと息をして空を見上げた。聞いてはいけなかったのかもしれない。それから私に向き直って「遠いよ」と言った。住所とか名前は教えてはいけないと言われているから、遠いとだけしか言えない。きっとそう。
「そうか。ごめんね。よその人に大切なこと教えたらいけないのよね?」男の子は私には答えずにこう言った。
「遠いんだ。とっても。ホントにホントに遠いんだ」もうこれ以上男の子に何も聞かないことにしよう。困らせるだけだ。(この子は誰?)胸の奥がざわっとした。
「じゃ、ここでバイバイね。あのね、話しかけてくれて嬉しかったよ」と私。すると
「ボクも嬉しかったよ」雨はだんだん強くなる。
「これ上げる。私は近いから」私は持っていた傘を差し出した。男の子は私をじっと見て、泣きそうなのに笑おうとしている。傘をさして立ちすくんだまま。
「じゃね」私は男の子に背を向けて歩き出した。すると男の子は私の背中越しに、ひとり言のように言った。「ナユタ」ナユタ---? 名前? もしまた会えたら聞いてみよう。
「またね」と言いたくて振り返った時、もうそこには男の子の姿はなかった。
突然、私は忘れようと、いや、忘れなければいられなかったあることを思い出した。
もうすぐ生まれてくるはずだった子供に、「あなたの名前はナオトよ」とお腹をなでながら話しかけていたことを。
ナオト、ナユタ、似てるね。でもまさかね。。まさか---
ナユタ。その意味は確か、数字の単位で表すことの出来ない数えきれないほどたくさんの---百、千、万、億--- ------
そう。たくさんの空、海、時を超えて超えて、やってきた男の子。
いつか私も会いに行くよ。必ず行くよ。
「ま・た・ね」おわり
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出身地
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1986年 福岡県福岡市生まれ
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出身大学
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2012年 東京藝術大学 学部 卒業
2014年 東京藝術大学 修士 卒業 |
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展示履歴
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2013年 しろがねGallery 個展
2015年 泰明画廊 個展 2017年 青木繁記念大賞日本美術展 入選 2018年 金魚空間 ガレイドスコープ展 2019年 しろがねGallery 個展 |
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